「お母ちゃん来たよ」 一時帰宅の浪江町民 景色に絶句、涙ぬぐい

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2011.5.26 22:15 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110526/dst11052622170036-n1.htm

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津波で家屋を失った浪江町請戸地区の方々が防護服姿で焼香台に次々と花を手向け、焼香をおこなった。後方には一時帰宅出来ないがれきの家々が広がっている =26日午前、福島県浪江町 (大山文兄撮影、防護服を着用して撮影を行っています)

福島県双葉町と浪江町で26日行われた警戒区域への一時帰宅。東京電力福島第1原発の地元、双葉町民の警戒区域入りは初めてで32世帯60人が参加した。浪江町では津波で家屋がほぼ流失し、犠牲者を出した沿岸4地区の63世帯111人が故郷へ。これまでとは違って家財道具を運び出す姿は少なく、帰る家をもなくした住民らの「慰霊の旅」となった。

浪江町の海岸沿い、がれきだらけの通りに小さな献花台がひっそりと設けられていた。菓子や酒のほか、「天国でも仲良くしてください。早く出てきて」と書かれた兄弟らしき青年2人の写真。

慰霊のため同行した僧侶、青田敦郎さんは防護服の上に法衣を着て、棚塩、請戸、中浜の3つの地区で読経した。

漁師だった男性(70)は、歌が好きだったいとこの女性=当時(63)=をしのび、焼香台の近くにあった木の板に「天国に行ってもカラオケ歌えよ」と力強くマジックで書き込んだ。自宅は土台を残し、流されていたという。

請戸地区でバスを降りた渡辺昭子さん(62)は、かつて海辺の漁師町だった眼前の景色に「ひどい」と漏らし、絶句した。震災から2カ月半以上が過ぎ、初めて訪れた自宅付近で、うずくまり泣き崩れた。

「消防を手伝ってくる」と言って別れた息子の潤也さん(37)はいまだに行方不明。渡辺さんは防護服のゴム手袋で涙をぬぐい、「心の中で『お母ちゃん来たよ。どこにいるの』と呼びかけた」。潤也さんの好物という焼きおにぎりを置き、がれきの町に向かって何度も何度も「潤也、早く帰ってきて」と大声で叫んだ。

吉田妙子さん(50)は亡くなった三男、寿和さん(18)のひしゃげた車に線香を手向け「早く来てあげられなくて、ごめんね」。地震の後、海辺の家にいた祖父母を車で助けに行き、津波の犠牲になった。地元の会社へ就職が決まったばかりだった。

この日訪れた4つの地区は第1原発から5~10キロの場所。山の上には原発の排気塔が突き出していた。

二本松市に避難している元漁師、安斎政夫さん(70)は「これまで原発のことを気にしていなかった。もう近くには住めないが、国や東電に文句を言ってもどうにもならない」と声を落とす。

約2時間の滞在後、中継基地で放射線汚染の度合いを調べるスクリーニングを受け、防護服を脱いだ住民には疲労の色が浮かんでいた。氏家和子さん(65)は津波で流された犬7匹のため、自宅跡にビーフジャーキーを置いてきた。

「流された家の跡を見て踏ん切りがついた。前に進みたい」

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