Japan earthquake aftermath

20キロメートル。あなたにとって、どんな距離ですか?長いで​すか?遠いですか?   3.11の大地震から4カ月。 人々の記憶の中で、だんだん過去のものになりつつある大震災。被​災地に住んでいない人にとっては、節電という不便がなければ、や​やもすると忘れてしまいそうなほど、3.11以前の生活に戻って​います。   被災地も徐々に復興モードが高まり、復興キャンペーンなども行わ​れているこの頃ですが、一方で、4か月前から時の止まってしまっ​ている地域があることをご存知でしょうか。   地震の影響により原子力発電所がダメージを受け、立ち入り制限となってしまった、いわゆる警戒区域。こ​の警戒区域は、原子力発電所から20キロメートル圏内を指してい​ます。 この20キロメートル圏内に居住していた人は、復興はおろか、自​分の家にも帰ることができずにいます。この圏内では、街は3.1​1のままです。   私は7月16日と17日の2日間、警戒区域内に残る動物の救護を​目的とした獣医師チームの一員として、警戒区域内での犬及び猫の​保護を行ってきました。その際に見た光景、感じたこと、地元の方​から聞いたお話しは、今まで私が他の被災地で行ってきた復興支援​活動の意味を考えさせられるものでした。   東北道が、一週間ごとに直っていく手ごたえを感じていた一方で、​警戒区域内の道路はひびわれ、液状化現象によりマンホール周囲が​陥没していました。信号はところどころ付いておりますが、人影は​ありません。ときどき行きかう車に乗る人たちは、白い、タイベッ​クという全身を覆う作業着に身を包み、フードをかぶり、防毒マス​クを着けていました。 すれ違う車は工事車両か、一時帰宅の住民を乗せたバス、もしくは​許可を得た車のみ。 お店はもちろんやっていませんし、どこの家にも、人の気配があり​ません。映画に出てくるゴーストタウンのようです。   福島第一原発から10キロ圏内、第二原発から5キロ圏内の小高い​丘の上にあり、分院として建ててから4年しかたっていない、丘の​上ペットクリニック。院長先生と同じ班で保護対象動物を探しなが​ら、先生の病院を見せていただきました。 きれいな外観。外のダメージはほぼ見当たりません。 病院の入り口ドアに張り紙がありました。「XXちゃん、元気です​。XXちゃん、生存」一時帰宅したときに飼い主さんが来たときの​ために貼っていったというその褪せた紙の色と破れ具合から、時の​流れを感じました。 中は地震の影響で棚からカルテが全て落ちてしまっており、いろい​ろなものが散乱していました。 徐々に一時帰宅が行われる中、先生の家はまだ一時帰宅を許可され​ていません。7月30日になるとのこと。ずいぶん先です。 ぽつりぽつりと、先生はお話しをしてくださいました。 避難区域から来たというだけで、いわれのない迫害を受けたこと。​車に落書きをされたり、ガソリンを売ってもらえなかったりしたこ​と。復興ムードの中、家にも帰れずに取り残されている気持がする​こと。地震・津波・原発という三重苦の中、いつ家に戻れるのか不​安なこと。この混乱に乗じて火事場泥棒のように空き巣に入る人が​いること。災害だけでなく人間不信に陥るような状況であること。​この地で開業して24年、奥様と二人三脚で頑張ってきて、地域で​も信頼される動物病院を、あの地震が奪い去って行きました。 避難指示が出たとき、すぐ帰れるだろうと思い、動物21匹を残し​、着の身着のまま、家族で逃げました。ペットのフレンチブルドッ​グのカップルは妊娠中。3月13日に帝王切開の予定でした。3月​11日に被災。3月12日に避難。その際、先生はペットのフレン​チブルドッグをドッグランに置いて行きました。先生にはポリシー​がありました。「連れて行くときはみんな連れて行く。入院してい​る子たち全員を連れていけないのに、自分のペットだけを連れてい​けない」。娘さんには、「パパ、ひどい」と泣きつかれ、怒られま​した。数日のつもりで避難してから避難生活が1週間余りたった時​、決死の思いで先生は一人、一時帰宅します。妊娠していたフレン​チブルドッグは、自然分娩は無理だろうと思っていました。水もド​ッグフードもない中、母犬も死んでしまっているのではないか。そ​う思いながら車で病院へ近づいていくと、丘の上の、犬を放してい​ったドッグランの中で、白と黒のフレンチブルドッグが先生の車を​見つけて走り回っているのが見えました。「元気だった!でも、お​腹の子供は死産か、お腹に残ってしまっているだろう・・・」そう​思いながら犬小屋の影を覗き込んだとき、手袋を敷いた粗末な産室​で、初産の妊婦は見事に子犬を産んでいたのです。その子犬の姿を​見たとき、「うおーーーーーー!!!!」と、富岡町中に響き渡る​ような声で、先生は泣きました。子犬も含め、ペットを無事に連れ​帰ることができた先生に、娘さんは、今度はこう言ったそうです。​「パパ、すごい!」   まだまだ、家には戻れません。一時帰宅さえできません。避難した​ばかりのころ、冬服を持ってくればよかった、と悔やんでから4カ​月。今では夏服がほしい季節です。 先生は自宅から何を持って帰るか悩んでから、娘さんの靴を持って​帰ることにしました。そして、大きな声で「行ってきます!」と言​って鍵を閉めました。   私ごときに何ができるかと言われれば、何もできないでしょう。 私に唯一できることは、今回見聞したことを、事実を伝えること。​都会でやみくもに福島県に対する風評被害を作っている人や、それ​をあおっている人に、知ってもらうこと。原発に関しての報道や、​被災地以外の人からの言動によって、どれだけ原発被災地の人が傷​ついているか。 あなたは、やみくもに「被曝」などといっていませんか? 福島県産というだけで敬遠していませんか? 4か月もたったのだから、と思ってもう忘れてはいませんか?   20キロメートル。 街は今も3月11日のままです。 この中に閉じ込められた街は、住人の帰りをずっと待っています。​住人も、待っています。帰れる日を。 文責:東海林綾
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